
北朝鮮住民を熱狂させた日本の歌が存在した!日朝文化交流の変遷
イ・ヨンミ(在日コリアン出身の脱北者)
イ・ヨンミ(在日コリアン出身の脱北者)最近、日本では韓流ブームで韓国語を学びたいと考える日本人の数が大きく増えているという。韓国でも旅行・文化分野で「日本ブーム」が起きている。これらの現象は民間レベルで両国間の友好的な雰囲気を醸成することに寄与している。
一方、日本には北朝鮮と日本の交流が途絶えているにもかかわらず、朝鮮総連と直接関連はなくとも北朝鮮文化を好む北朝鮮マニアたちがいると聞く。そして資本主義の思想文化を排斥する北朝鮮で韓国と日本文化を好む人もいるにはいる。
すでに北朝鮮の韓流ブームは知られているところだが……日本文化はどう見られているのだろうか。
北朝鮮内で日本文化に触れた時代
1945年8月の解放以降、日本との関係を断絶していた北朝鮮。しかし1955年の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)結成を契機に日本に手を伸ばした。

普天堡電子楽団
1959年から始まった「資本主義から社会主義への民族の大移動」と呼ばれる在日コリアンの北朝鮮送還事業により北朝鮮に定着した93,340人の在日コリアンたちによって日本文化が北朝鮮に伝播した。ソ連と中国の固い社会主義文化に慣れていた北朝鮮住民たちは、在日コリアンたちを通じてソフトな日本の資本主義文化に触れることができた。在日コリアンたちが持ち込んだ日本製の車や家電製品、服、生活必需品は北朝鮮では見ることが難しい最高級商品として人気が高かった。
金正恩北朝鮮国務委員長の実母高容姫も1962年に北朝鮮送還船に乗って北朝鮮に定着した在日コリアン出身だ。大阪出身で平壌に定着した高容姫は、万寿台芸術団で舞踊をやっていた時代に金正日国防委員長の目に留まり側室となり、金正哲・金正恩・金与正の三兄妹を産んだ。
金正日は1982年に日本人の藤本健二を呼んで自身の専属料理人として側に置いた。藤本は幼い金正恩・金与正とも親交を深めたが、在日コリアン出身の母親の影響で日本文化に触れていたこの兄妹は、この出会いを通じて日本文化に慣れ親しむことができた。
北朝鮮と日本との間の文化交流は主に朝鮮総連を通じて行われたが、北朝鮮は1980年代初頭に日本で朝鮮総連を主題とした映画「銀のかんざし」と「春の日の雪解け」を制作・放映した。資本主義の日本に対する批判的な視点が反映された映画だったが、北朝鮮住民たちは画面を通じて日本社会の発展した姿を見ることができ、関連映画の主題歌は一時北朝鮮で流行したこともあった。

北朝鮮の公式YouTubeよりキャプチャ
北朝鮮内で「日本ブーム」まで起きたことが!
北朝鮮ではまた、1984年に合営法を制定して朝鮮総連企業と資金を誘致したことで、日本経済と文化に対する理解度が高まるきっかけとなった。
本格的に北朝鮮で日本文化ブームが起きるきっかけとなったのは、1991年の金正日が生みの親である「ポチョンボ電子楽団」の日本公演だ。同楽団は日朝文化交流協会の主催で、NHKと朝日新聞の後援で1991年9月17日から10月27日まで日本の東京、仙台、広島、北九州、大阪、京都、神戸、姫路などで巡回公演を行った。
ポチョンボ電子楽団は北朝鮮の歌と日本の歌を公演の舞台に上げ、日本国内の在日コリアンと親北朝鮮傾向の日本人たちに大きな人気を集めた。NHKニュースで紹介され、歌手たちが日本のTVに出演することもあった。
北朝鮮も朝鮮中央テレビを通じてポチョンボ電子楽団の日本公演を放映し、彼らが歌った「北国の春」、「瀬戸の花嫁」、「津軽海峡冬景色」など情緒を刺激する日本の歌は北朝鮮でかなりの人気を得た。韓国に定着した脱北者たちがカラオケに行くと、時々思い出の愛唱歌として歌うこともある。
2007年、北朝鮮の日本人拉致問題と核ミサイル実験で北朝鮮と日本との間の交流が中断し、北朝鮮と日本の文化交流の伝令使の役割を果たしていた朝鮮総連の地位に変化があった。一方、韓流が北朝鮮に本格的に流入し始めたことで、北朝鮮内の日本文化は足場を失った。
今後はどうなっていく?
北朝鮮と日本の間には「拉致問題」と「植民地支配清算」という宿命的な課題があるが、当局間の水面下の接触が断続的に進められているだけで、両国間の交流は皆無の状況である。今後、北朝鮮と日本の関係改善に向けた動きが再開されれば、日本の北朝鮮マニアたちと日本への郷愁に浸る北朝鮮内の在日コリアンたちが両国の文化交流の伝令役を果たす可能性もあると見ている。