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News Letter

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騙されて地獄へ――朝鮮総連の虚偽に翻弄された

33年の北朝鮮生活を振り返って

                   










金柱聖  脱北作家



少し前から韓国のケーブルテレビで日本のドラマが見れるようになった。日本生まれの私からしてみると懐かしいコンテンツでもあった。あれこれ見ているうちに私の目にとどまり胸を打つような感動を覚えたのドラマが、米倉涼子主演の"ドクターX“というドラマだった。



主な主題は人の命を助ける大門みち子という外科医の物語である。あらゆる状況におかれても人の命を助ける主人公の気質からもう一度、命の大切さと生きて行くことがどれだけ重要な事なのかを思い知ることが出来た。


実はこのドラマが好きになった理由は他にもあった。2年前、全身の筋肉が固くなりだし原因不明の病に伏せて最終的に宣言された病名が血液癌だった。死ぬかも知れないと思いきや、表現の出来ない恐怖と絶望感が津波のように襲ってきた。



死に直面したその時、私は過ぎ去った60年を振り返って見た。日本で生まれ、中学校迄の14年、そして総連幹部だった祖父と共に帰還事業で北朝鮮に渡り33年、命をかけて脱北し韓国での17年、3ヶ国を巡った人生60余年であった。



2003年1月、日本の新潟から北朝鮮の元山へ出航する「万景峰-92」号の乗客たちが、朝鮮民主主義人民共和国の国旗を振っている。北朝鮮は、在日朝鮮人の帰国事業に使用していた「万景峰」号の老朽化に伴い、1992年に「万景峰-92」号を建造した。/VOA



在日朝鮮人3世として日本の兵庫県で生まれた私だった。幼いころから日本語が喋れて普通に漫画の本を読んだり、お爺ちゃんと一緒に銭湯にいったり、カップラーメンにボンカレーを食べて喜んでいたごく普通の子供だった。


然し私の祖父や祖母は家では朝鮮語で喋りそして部屋には金日成の肖像画がかかっていた。そして夜寝るときもお爺ちゃんの枕許のラジオからピョンヤン放送が聞こえていた。物心ついて朝鮮学校のスクールバスに乗って朝鮮学校に通い出したころ、私は"在日朝鮮人"の3世だという事を悟った。


つまり、日本人では無いのに日本で生まれたのだった。そして"我が祖国"という言葉と北朝鮮が母なる国だと言うことを教わった。


"それ何処なの?"

"北朝鮮、公式国名は朝鮮民主主義人民共和国"

"めちゃ、長いね。ほなら南朝鮮は何?"

"そこは韓国という別の国名があるんよ"



何時しか、友だち達とこの様な会話をしたこともあった。


大きくなるに連れ祖国という国が南北に分断しており、北は地上の楽園で南は生き地獄だと教わりその通りだと思っていた。共に、神格化された金日成元帥様に対する崇拝心は高まる一方だった。そして1976年に夢と希望を抱き地上の楽園だと信じていた北朝鮮に渡った。



帰国船"万景峰"号からかの地に一歩踏み出したその瞬間、信じられない光景が目の前に繰り広げられた。同じ服を着て同じ髪型した人たちが居た。天使が飛んでいるかも知れないパラダイスには素っ裸の子供が泥まみれになって路上をうろついている。



バスが荒馬のようにピョンピョン跳ねたり、排気ガスが車内に充満する。何十年も昔にタイムスリップしたようだった。



現実は少しばかりではなく完全に違っていた。地上の楽園では無く地下の地獄とも言いたいところであった。夢で有って欲しかった。そして帰りたかった。少年ジャンプを読みながらかっぱエビセンを食べたかった。



"ここでは口は喋るためにあるのでは無く自分の考えた事を塞ぐ蓋だと思え"北朝鮮に渡って先に帰った在日から聴いた言葉を理解するのに10数年かかった。



祖国という国、母なる国という所に行けば夢も希望も叶い幸せな人生を送れると思っていたが全てが妄想だった。私を溺愛し北に連れてきた祖父も一年足らずで亡くなってしまった。



北朝鮮での33年間、今になって振り返ってみると、人間として想像を絶する体験をした思っている。一言の言葉を間違ったため、政治犯に追い立てられたり、見せ物の様に公開処刑を行い冤罪、連鎖罪という名目で何の罪もない親兄弟に罪を負い被せて処罰を与える所であった。



人を品物のように階級というヒエラルキーで縛り、差別し粛清するのが教えられた私の祖国であった。

"これで、やっと日本に行けるな"在日帰還者と共に北朝鮮に渡ったある日本人夫が目を瞑る前に残した最後の言葉であった。



自由どころか人権すら無いあの国で9万人に至る帰還者が殆んど亡くなったと思える。それ以外にも何の罪もない平凡な日本人を拉致した国が北朝鮮でもある。


1990年代、集団餓死を直接見た私はどうすれば檻のような北から逃れられるかを考えていた。多分、殆んどの在日帰還者は私と同じ気持だったと思う。大人になって解ったことだが北に帰還した殆んどの在日の本籍地は韓国だった。つまり、私を初め多くの在日の祖国は韓国だったのだ。


北朝鮮でも私たち在日帰還者を階級別に選り分けながら"南朝鮮出身者"としていたのだった。結局、色んな美辞麗句でおだてたり、扇ったりして連れ出しておいて差別をしたという事なのだ。



千載一遇の機会を得て2度の脱北を図り2008年40代の年齢で見事抜け出せることが出来た私は韓国に定着した。所謂、祖父の生まれ故郷、そして本当の祖国に戻ってくることが出来たのだった。韓国に来た脱北者の歴史もかれこれ30年近くになる。その間、医師、実業家、教授、等など脱北者が至るところで社会的地位を保つようになった。



今までの人生のうち一番酷く惨かった、そして惜しかった人生は北朝鮮での33年かだった。そこから逃れられた事は本当に幸運だったと思っている。色んな銘柄で呼ばれて来た私は残り僅かな人生をただ、普通の人間として平凡に暮して行きたい。



自由が与えてくれる素朴な幸せを、日々感じながら生きていこう。

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