
平壌で拡大する「影の宿泊経済」:北朝鮮における個人宿泊業の実態

郭仁玉(カク・インオク)淑明女子大学ICT融合学部 教授
1990年代の「苦難の行軍」以降、北朝鮮では国家による中央配給制度が機能不全に陥り、住民は自発的な経済活動を通じて生計を維持するようになった。この動きが後の「市場化」につながり、物資取引を超えて宿泊、運輸、飲食といったサービス分野にも拡大している。特に平壌駅や平城駅を中心とした個人宿泊業の台頭は、北朝鮮の影の経済構造を象徴する存在となっている。
1. 平壌駅周辺の事例
平壌駅は地方からの商人や公務員が行き交う交通要衝であり、公式なホテルが高額・厳格であることから、住民が自宅を改装した「民宿」に人気が集まっている。宿泊料金は現金だけでなく、米、トウモロコシ、乾燥イカといった現物支払いが多く、メ뚜기市場と呼ばれる夜間の路上取引で宿泊仲介も行われている。これは完全に非合法ではあるが、賄賂によって治安担当者と「共存」している事例も多い。
2. 平城駅周辺の事例
地方卸売の拠点である平城市では、早朝市場に向けた商人の流入が激しく、宿泊ニーズが急増。これに応じて駅周辺の住宅地(玉田洞、駅前洞、恩徳洞など)では個人宿泊業が盛んに営まれている。ここでも、民家の一部を提供する形で宿泊サービスが行われており、荷物の保管や食事の提供など、信頼関係に基づく柔軟な対応が特徴である。

3. 市場経済との相互依存
個人宿泊業は、北朝鮮の「市場経済」と密接に結びついており、地方―都市間を往復する商人たちにとって不可欠なインフラとなっている。宿泊料は都市部で1~3万円(1泊)、地方では数千ウォン程度とされ、柔軟な料金体系と家族的サービスで常連客を囲い込む。これは単なる収入源ではなく、非公式ネットワーク構築の要でもある。
4. 売春との結びつき
一部の民宿では売春が横行しており、これは経済困窮に陥った女性の「生存戦略」として黙認されている傾向がある。報告によると、平壌市では2~3万人の売春婦が存在し、料金は1泊10万ウォン前後。売春は将校や商人、学生など特定階層に集中し、性病の蔓延や青少年の巻き込みといった深刻な副作用を伴っている。
5. 政府の対応と黙認傾向
政府は表向きには取締りを強化しているものの、現場レベルでは賄賂による黙認や、特定地域での事実上の容認が確認されている。公式宿泊施設が不足する中、個人宿泊は生活インフラの一部として定着しつつあり、社会経済の変化に対する「民間の適応策」とも言える。
この現象は北朝鮮の非公式経済構造、地方経済と都市との物流、住民の生計戦略、さらには性産業といった多層的な要素が絡み合う注目すべき事例である。北朝鮮研究、制裁政策、脱北者支援、ジェンダー問題など、多様な研究・政策分野における参考情報となるだろう。